ゼロの焦点
おいらにしては珍しく、2週続けてステラプレイスの札幌シネマフロンティアで映画を見てしまいました。今回は広末涼子主演の「ゼロの焦点」です。
原作家の松本清張が自ら代表作というほどの有名な作品で、映画化は今回で2度目。前回は1961年に久我美子主演で製作されていますが、若い人でこの女優さんの名を知る人はほとんどいませんよね^^;。こちらのほうは、たまたま、13年前にテレビ東京で年末に放映したものがビデオに残っていたので、改めておさらいしてみました。おまけに原作もかなり前に読んでいるので、もう、筋は丸わかりなのですが、何の予備知識もなくこの映画を見た人(とくに若い人)にしてみると、映画で展開される昭和30年代前半の時代感覚には大きく違和感を感じると思います。
いまは社会的地位を持つ女が、自分の暗い過去を知られまいと、それを知る人間を次々と葬るというお話なのですが、現在の感覚で考えられないのが「なぜ暗い過去を隠す必要があり、それが殺人にまで発展してしまうのか」ということだと思います。いくらフィクションとはいえ、そこまで考える人がいるのだろうかと、半信半疑になっても不思議ではありません。
でも、それは、50年以上前と現代とではあまりにも時代背景が違いすぎますから、「理解しろ」というのが無理な話だと思います。いま以上に、その人の出自とか家柄のようなものが重要視されていて、生い立ちの段階からやり直しが効かない世の中(それでもインドのカースト制度よりはマシですが)。しかも自由も価値観もへったくれもない戦後の混乱期から10年程度しか経っていない時ですから、あるいは、このような悲劇的な行動を起こす人が(潜在的にも)いたのかもしれません。
では、現代はどうなのか?。いわれのない不可解な殺人にまつわる報道が後を絶たず、同じ殺人でも、まだ、50年前を舞台にしたこの映画のほうがはっきりしているような気がします。昔に比べて、何不自由なく過ごせる自由を得た果てに歪んだ行動が起っている、といってしまっては短絡的かもしれませんが、少なくとも、この映画のミステリーより、よっぽどミステリーなことが現実に起っているのは事実でしょう。
ちなみに、「ゼロの焦点」は、広末、中谷、木村の3女優の共演(実際には3人が同時に交わることはないですが)が話題になっていますが、広末は主役らしい薄幸さゼロ(洗濯機のタイムカプセルに乗ってバブル時代で暴れていた方がお似合い-笑-)。中谷は期待どおりの怪演ぶり。木村はいつもどおりの無機的存在でした。
意味不明な演出や伏線がよくわからない登場人物、考証が甘すぎる鉄道の描写(1957年の急行「北陸」の上野発車が蒸気機関車牽引だったり、当時普及していなかったと思われる車内放送装置が使われていたり、サボの表記がありえないほどテキトーなどなど)があったりと、突っ込みどころも結構あって、これはこれで、ある意味、楽しめた映画ではあったかも^^;。イメージ的には、やはり、1961年作の方が原作に近いのでしょうね。監督も全然違いますしね。
*2009.11.15 RICOH GR DIGITAL IIで撮影。
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